宮台真司先生のいう言葉の自動機械ってこれ?

時代は平成に入り、昭和生まれの世代もそれなりの地位や責任を担わされる身になったが、昭和の正義であった家父長制は悪しき慣習として忌避されるようになった。かわって女性の権利は尊重され、下位の男性の意見や権利も蹂躙できない時代に入ってきた。このことによって、強固な家父長制の元で育った彼らの正義の吐け口はもはや家庭や社会にも無くなってしまい、少しでもそれを表明しようものなら疎まれたり非難されるものとなってしまった。高偏差値の大学卒業者は結婚した伴侶も高学歴者な場合が多い。よって、生まれ持っての高い知能を持たず、塾や家庭教師から入試テクニックを学んでなんとか高い偏差値の大学に潜り込んだ者は、教養も倫理性も育まぬまま伴侶を得てしまったがため、家庭内で伴侶や子供の尊敬も得られなければ独善的意見を通すことも叶わず、かといって企業人でもないために部下からのかたちばかりの尊敬や忠誠を集める機会からも無縁のため、内に秘めた不満を募らせるだけになってしまったのである。そんなときに出てきたのがTwitterというなんでも言えて、しかも匿名で居られるドブ川なのである。彼らは、このTwitterというドブ川に流れている自身には全く関係のない言葉尻を捉えて、いたずらに感情をぶつけるという行為で欲求不満を解消しているつもりなのである。しかし、いたずらに掻き立てた感情は解消するどころか、むしろ些細なことにも反応するほど敏感になってしまう。あれっ?これって宮台真司先生のいう感情の劣化や言葉の自動機械のことじゃね?