Twitter内の文盲

 

最近、読書習慣を身につけなかった人の読解力の無さが明らかになりました。読解力の無さに加え、文章を最後まで読み進める忍耐力や持久力も欠如していることが要因ではないかと個人的には思っています。ただ最近は、知識はその都度クラウドから引っ張り出せばいいじゃないかということから、これまで先人が積み重ねてきた英知をインプットすることは野暮というような雰囲気を感じます。勿論、読書などは個人的な嗜みとして人に勧めても仕方ないのですが、良書を読めば読むほど自分や周囲の無知さと思考を掘り下げることの重要度を感じさせられるのです。ではどのような本が良書なのか。取っ掛かりやすさや比較的読み易いという観点でみれば、著名な大学教授が書かれた著書がいいと思います。理由は、大学教授は教授職に就く前から膨大な専門書や学術書や論文を読み込んで理解して整理しているからです。物事を正しく論理的に理解するためとはいえ、過去から議論され積み重ねられ、塗り替えられた論説を全て読みこなすことは普通の生活者では不可能です。せいぜい、たまたま手に取った本の内容に思考の全てを支配されたり、感情的に同調した作家の著作が思考の骨格になってしまうのがオチで、また、そのような人も実際に多い気がします。そのような人はまず間違いなく大声で自説を唱え、ツイートします。思考の底が浅いと単純なワードを強調する他ないのです。近頃は科学的根拠やデータ重視で、それさえ示されれば結論の正当性を裏書きされたと思っている人が多いような気がします。しかし、科学的根拠もサーベイ・データも恣意的とまではいわなくとも、任意性を完全に排除することはできません。しかし、人が思考を深めて、長い時間をかけて積み重ねてきた英知は、それを理解しようとする人の思考を深化させます。短絡的な単細胞にならないためにもまともな本を読むようにしたほうがいいのですが、わかっている人はすでに読書習慣を身につけているはずですね。