Twitter上のナニ者が甚だ臭いことチンカスやオリモノの如し。

日本人は人前での発言が苦手である。自分の発言が間違っていないかどうかを気にするあまり、分からないまま折角の機会をやり過ごしてしまうのである。つまり、自分の疑問を解消させる欲求より、私は全てお見通しといった見栄を張ることに意識が傾く。このような人は自分の無知をその都度質問や疑問として顕在化させて知識で埋めていく習慣を持っていないため、大抵がアタマの空っぽな状態のまま今に至った人である。ところが、Twitterなどの匿名で発言できるプラットフォームにおいては、アタマの空っぽな人が大手を振って跋扈している状態になっている。これは、幅広い年代層でみられる傾向で、昔から空っぽアタマを見透かされないように努めてきた人が多かったことを示しているうえに、間違いなく子供世代の若年層にも伝承されている国民性である。Twitter上では自らのプロフィールをキチンと開示したうえで、ご自身の信ずるところに従って臆することなく発言を展開している方々も沢山おられる。このような方々が発言に至るまでには、膨大な知識量や思索プロセスの基礎に成り立った論理構成が足下に存在するのだが、知識に乏しく、思索が浅く、感情に流されやすい人は、そのような事情を想像だにできない。只々、誰かに認めてもらいたいという欲求に従って、絡んだり批判したりを繰り返し、イイネが得られるとカタルシスを憶えてしまう。もはやこうなると、脳科学でいうところのドーパミン報酬系が出来上がってしまうので、絡みや批判が常態化していくのである。言い換えれば麻薬依存性と同等の、ネットにおける中毒症状である。このような中毒者の意見や批判や疑問は、責任を持って発言している健常者が思考プロセスの初歩的な途上で既に解決済みであることに思いが至らない。これは、同時に、相手の考えを理解しようとするコミュニケーション能力や思いやりや想像力の欠如にほかならない。このような人は、あたかもオナニーに耽ることを止められない猿の如し「ナニ者」かである。まれに、ナニ者は自身が絡んだ相手にリプされることがあるが、そのようなときは議論を展開する能力はもちろん皆無であるため、自身が年長であることや健常者と異なる立場であるといった意味のないマウンティングやかわしで逃げに出るのが常套である。まったく、これらTwitterのチンカスやらオリモノどもの醜いことこのうえもない。お猿さん、ゴメンね。

 

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