大学は稚拙な欲望のドッグラン

昭和より前の時代においては、高い教養と受け継がれた資産を身につけた旧武家階級や華族に舵取りによって日本の文化的秩序と高潔な精神性が保たれ、ほとんどの庶民階級は他者に関心を向けるほどの暇もなく、身を粉にして労働に徹していたのである。その後時代は昭和に入ってくるのだが、庶民の中からもその頃まだ少なかった大学に進学し、今とは比べ物にならないほどの志で高次教育を受け、自ら吸収した哲学や倫理観で己を律することが出来る人も排出するようになった。その後、人口増加による高度成長によって、比較的入り易い大学が雨後の筍のように造られ、バブル期においては名前さえ書ければ入れるような、企業向け社畜要請機関としての大学が乱立するに至った。こうなると高次教育機関であった大学は、もはや教養や倫理観を育む場所ではなくなってしまった。全体主義的に躾けられた子どもが、教師や親の目の届かない自由を謳歌する無秩序な場所に成り果てたのである。つまり、未成熟な精神に宿る欲望が野放しになったのである。