進歩を疎んじる現代人は江戸時代人

前回「古代から日本においてイノベーションは起こらなかった」ということを下調べなしの荒削りな乱暴さで述べましたが果たしてそうでしょうか?もしかしたら、イノベーションの発芽はあったものの、陽の目を見るまえに摘まれてしまったのではないかという可能性です。歴史とは時の為政者に都合よく脚色された記録という側面があります。為政者側は自らが布いた体制に従わない者を異端や反逆とみなします。故に、既存の制度を否定する者は即ち為政者への反逆者に他なりません。だとしたら、その反逆者が他に影響を与えないよう、その者を速やかに排除するように働きます。今の日本でも大小問わずどんな共同体であってもこの機能が働いています。このような民衆への躾はいつ頃からなのでしょうか。おそらく、稲作文化が大和政権の礎になってた時代から芽生えたのではないでしょうか。為政者たちは民衆から税を徴収します。そして、毎年の税収は増加するか安定することが重視されます。税徴収を安定的にするためには、収穫の少なかった者への補填を集団に課していたかもしれません。これが連帯性の意識を植え付けられた発端だったことでしょう。もちろん海外においても稲作文化はありましたし、麦作文化も集団生活を構成するてんでは同じルールが適用されるでしょう。でも、この狭い島国では、人間が日々の糧を得ながら生活できる土地はそう多くありません。よって、次の権力を狙うべつの地域の為政者もさほど違わぬルールを領地の民に課している可能性がありました。つまり、大陸のような文化も人種も民族も異なる為政者が戦争による交代によってそれまでと全く異なるルールを布くことはなく、この狭い日本列島ではルールに大きな変化は起こりにくかったと考えられます。それが、人と同じことを良しとし、違うことをすることを排除したり潰したりする意識を強靭にした理由ではないかと考えます。そして、江戸時代に入ってからこの意識の完成に至るのです。江戸時代の時代小説が大衆に好まれるのは通底する意識が現代と通じるからです。つまり、意識は江戸時代のままなのです。